菜花柚仁「自閉スペクトラム」を楽しんで生きる

仕事をしながら心理学科に通っています。 特に子供の心理や発達について研究をしています。 私自身が自閉スペクトラムと診断されていることもあって、そんな一人一人の特徴や能力を生かした過ごし方を発信していけたらと思っています。

私が無くしたものは「葛藤」でした

 

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皆さんこんにちは。

 

菜花柚仁です。

 

毎日のように気づきがあって、大なり小なり成長しているつもりですが、結構それだけで一苦労です。

 

今回の気づきでは目が腫れるほど泣きました。

 

小さな気づきであれば、そんなに体力は消耗しませんがだいぶ大物がヒットしまして。

 

自分でも知らない自分はたくさんいて、知れば知るほど驚かされます。

 

辛い出来事などは人それぞれあると思いますが、その出来事が大きなことなのか小さなことなのかも、感じる人によって変わりますよね。

 

私は、辛い人生ではなかったと思っていました。

 

でも、楽しい人生でもなかったとも思っていました。

 

何をされてもあまり怒ることもなく、喜ぶこともありませんでした。

 

辛いことも楽しいことも人と共感をしたこともありませんでした。

 

書いてみるとだいぶ寂しい日々だったなと今なら思いますが、当時は何も感じていませんでした。

 

もっと昔を思い出してみると、小学校低学年より前までは、父や兄とオセロをして、負けては勝負を挑み、泣きながらもう一回、もう一回とせがんでいました。

 

後で見ようと思っていたコナンの映画を父に消された時はものすごい形相で抗議したこともあります。

 

しかし、小学校3年生くらいから、感情が感じられなくなっていきました。

 

自覚はありませんでした。

 

少し前までは、自分は早めに大人になったのかな?と勘違いしていたくらいです。

 

大人になったのではなく、失っていただけなのに。

 

さっき、私は、辛い人生ではなかったと書きましたが、辛く感じないようにしていた、ということです。

 

そうしないと、生きてこられなかったのだと思います。

 

本来子供は、正しいか間違っているかは置いておいて、自分の感情を素直に表します。

 

欲しいものがあれば駄々をこねるし、喧嘩したら自分が悪くても意地を張ってみたり、ちょっと意地悪して人を泣かせてしまって傷つけたり。

 

たくさんの失敗を重ねて、学んでいきます。

 

そして大人になったら、理性も働くようになって駄々をこねなくなったり、自分から謝れたり、何をしたら人を傷つけてしまうかも分かってきます。

 

その過程がとっても大事です。

 

たくさん傷ついて、傷つけて、泣いて、笑って。

 

それを超えて、大人になります。

 

この過程を自然に生きてこれた人はきっと、あえて考えたりはしないと思いますが、私は多分この過程を飛ばしてしまいました。

 

傷つけたり、傷つけられたり、泣いたり、笑ったりを誰かとしたことがありません。

 

それは出来事がなかったというわけではなく、心が反応しなかったということです。

 

今思い返せばわかります。

 

あれは辛かったんだ、悲しかったんだって。

 

出来事だけ考えれば、波乱万丈とまでは言えるかわかりませんが、結構色々ありました。

 

色々あったからこそ自分を守るために感情を麻痺させたのかな?と思っていましたが、最近意外な事実が発覚しました。

 

ちょっと話がズレたように感じるかもしれませんが後で繋がりますので少しお付き合いください。

 

最近食あたりになった時に造影剤を使ってお腹のCTを撮りました。

 

そこに映り込んでいたのはお腹の横幅の3分の1を占めるほどの卵巣嚢腫でした。

 

幸い、悪さをする脳腫ではありませんでしたが、食あたりが落ち着いてから後日きちんと調べていただいたところ、生まれつきの奇形の卵巣だったことが分かりました。

 

私は生理が半年に1回しかこないような状態だったこともあったので、もしかしたら卵巣のせいだったのかもしれません。

 

今回お話ししたいことは卵巣のことというより、脳腫があることによっての影響についてです。

 

女性ホルモンがその影響でうまく活動できていなかったかもしれないということは簡単に予想がつきますが、考えられることはそれだけではありません。

卵巣嚢腫があるとホルモンに必ず影響があるとは限りません。何の影響もない人もいますので、可能性の話だと思って読んでいただければと思います。)

 

同じ臓器でたくさんのホルモン分泌を担っているので、女性ホルモンに力を注ぐと他のホルモンが疎かになる可能性も大です。

 

現に、血圧も低ければ体温も低く、他のホルモンが活動できていないことは読み取れます。

 

ということはですよ?

 

ストレスに対応するためにもホルモンが必要になるので、それすらも余力がなかったんじゃないかな?とも考えられるわけです。

 

ストレス耐性が弱い状態で、たくさんの辛い出来事を乗り越えるためには何かを失わせるしか方法がなかったと思うのです。

 

そして私が無くしたものは「葛藤」でした。

 

さまざまなホルモンの分泌がうまくなされないと、日々の生活だけでも一苦労なんです。

 

血圧が低ければ朝も起きれないし、片付けのような上下運動もとても負担です。

 

体温も低いし、ストレス耐性も弱いので、できないことがたくさんありました。

 

でも、私も含め、それを理解している人は誰1人としていませんでした。

 

だから、できないことをたくさん注意される時に、

できない自分が嫌になる気持ちや本当はちゃんとやりたい気持ち、そこに人からの注意や圧力が加わって、それに反発したいけどできない気持ち、たくさんの葛藤があったはずなんです。

 

でもそれを感じていたら私の心も身体も耐えられませんでした。

 

だから「葛藤」の全てを捨て去って、辛い時間を無のものにして、ただただ過ぎ去るのを待つ人生を送っていました。

 

私が今回のこのブログで何が書きたかったかというと、自分のことをどれだけ分かってあげられてるのだろうか?ということです。

 

ホルモンがちゃんと働いてくれているかどうかは私だけの問題じゃありません。

 

自分が知らない間に、心も身体も助けを求めていることがあります。

 

ほんの数週間前に発覚した卵巣嚢腫ですが、今まで健康に気をつけておいて良かったと心底思っています。

 

そうじゃないと、ストレス耐性がもともと弱い私が、もっと大変な状態になっていたかもしれないので。

 

今ではPMSもなく、ちゃんと生理も来るようになっているので、ストレス耐性もついてきたと思います。

 

今回は、ホルモンってマジで甘くみてると酷い目にあうってことを表現できていれば良いなと思います。

 

長くなってしまいましたが、最後までお付き合いくださりありがとうございました‼︎