菜花柚仁「自閉スペクトラム」を楽しんで生きる

仕事をしながら心理学科に通っています。 特に子供の心理や発達について研究をしています。 私自身が自閉スペクトラムと診断されていることもあって、そんな一人一人の特徴や能力を生かした過ごし方を発信していけたらと思っています。

障害を抱えるものとして〜最後のご挨拶〜

 

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みなさんこんにちは。

 

菜花柚仁です。

 

私はそろそろこのブログとブログ投稿をお知らせしているインスタグラムを終わりにしようと思っています。

 

このブログでは私が大人になって、自閉スペクトラムと診断されてから、自分と向き合う姿をそのまま文章にしてきました。

 

そしてだいたい一年が経ちました。

 

自分にどんな特徴があるのか、どんな心理的な課題があるのか、追求するのは簡単ではありませんでしたが、そのおかげで今まで感じていた生きづらさの原因を見つけることができました。

 

見つけたところで私の特徴が変わるわけではありませんが、知っているのと知らないのとでは全然違います。

 

知っていれば対策が取れますから、前より断然生きやすくなりました。

 

私はピアノの先生として働いていますが、私だからできる発達が気になるお子さんに対してのレッスンがあると思っています。

 

通ってくるお子さんのご家族には、私が自閉スペクトラムであることは、流れがあれば話すこともあります。

 

レッスンに通ってくる方だけでなく、私が関わるいろいろな人たちにも、話の流れがあれば自閉スペクトラムであることは話していました。

 

そうしていくうちになんとなく見えてきたのが、障害を後ろめたく思う気持ちや障害が普通より劣っていると思っている人たちが多いんだなってこと。

 

世の中がそんな認識だから、障害と診断されるとショックを受ける人がいるんだなって。

 

私はもともと障害に対して、何の印象も持ってませんでした。

 

だからなんだろう?的な。

 

どうにかして生きていけさえすれば良いんじゃない?的な。

 

もちろん日常生活が大変な方がいるってこともわかっているので、それなら誰かの助けが必要だよねってくらいな気持ちで。

 

世の中が障害をどう見ているかなんて、はっきり言って興味がありませんでした。

 

世の中がどう思ってようと私は私だし、私なりに生きていくだけだし。

 

自閉スペクトラムと診断されて一年以上経ち、最近ではそのスタンスが確固たるものとなり、そのスタンス自体が私らしさだなと気付きました。

 

私のレッスンに興味を持ってくれる方々に、私は自信を持って自閉スペクトラムと公言して、だから何?というスタンスを貫くことが、世の中の認識を少しずつ変える一つのきっかけになれるんじゃないかと思っています。

 

研究もそのうちの一つで、着々と夢に近づいています。

 

その夢を第一優先に考えたら、このブログは卒業した方が良いだろうと思うようになりました。

 

もちろん、自分と向き合うことに関しては終わりはありませんが、今後私が何かを発信するなら、夢のための発信をしていきたいと思ったのです。

 

だから、自分のためのこのブログは終わりにします。

 

一年の終わり、12月31日にブログとインスタを終わりにしようと思います。

 

ブログを読みにきてくださった方々、インスタでいいねやコメントをくださった方々、本当に一年間ありがとうございました。

 

最後までお付き合いくださりありがとうございましたm(_ _)m

 

またどこかで。

手を差し伸べられた時のこと

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みなさんこんにちは。

 

菜花柚仁です。

 

時々、足が動かなくなった時のことを思い出すことがあります。

 

それは辛い気持ちになるとかではなく、その時の経験で学んだことを思い出すんです。

 

時間が経ってから思い出すことで、当時気が付かなかったことや改めて感じることがあり、今日もふと考えていました。

 

今、私の考えや仕事の基本になっているものは、心と身体を整えること、自分軸を形成すること、それをピアノを使ってサポートすること、です。

 

一応サポートの相手は子供たちというふうにしていますが、どのテーマも子供であっても大人であっても大事なテーマだと思っているので、どんな人にでも当てはまるんじゃないかと思っています。

 

私がそんな考え方に至るまでにはいろんな人の支えがあってこそでした。

 

足が動かなくなった時、ある先生が神社に連れて行ってくれて、お参りをしようとしたんですが、お賽銭までの短い階段に、車椅子用のスロープが作られていて、私はそこをヨボヨボの状態で歩こうとしました。

 

先生がその時手を出してきたので「えっ何ですか?この手は。」って咄嗟に言ったんです。

 

今考えれば歩きづらい私に手を差し伸べてくれたって思えるのですが、その時の私はまったくわかりませんでした。

 

そして先生が「歩きづらいだろうから手貸すよってこと」と言ってくれてようやく理解する私。

 

この一連の記憶が今日ふと思い出されました。

 

それで思ったんです。

 

手を出された時に「手を貸してくれたんだ!」って気が付かないような心の世界に当時の私は生きていたのかって、そんなつらい世界を生きていたのかって思って、当時の私を抱きしめてあげたくなりました。

 

苦しんでいた時の記憶と今温かい世界に生きている私が同時に感じられてなんだか泣けてしまいました。

 

あの頃は、手を差し伸べてくれる人なんて誰1人としていないんだから、私一人で自分の足で誰にも頼らず歩いていかなきゃって気を張ってたんです。

 

だから足が動かなくなったのかな?

 

その考えは足が動かなくなっても同じで、例え足の動かない人がいたところで、手を貸してくれる人はいないと思っていたんだと思います。

 

だから、あの時先生の善意に気がつかなかった。

 

そんな自分がなんだか可哀想に思えて。

 

でも足が動かなくなったことで、意外に手を差し伸べてくれる人がいることを知ることになりました。

 

エレベーターの「開ける」を推しててくれる人とか、車椅子から立ってレッスン室に入ろうとして車椅子を倒した時に立てかけてくれた人とか、仕事の時に無理やり歩いて仕事してたら心配してくれた生徒さんの親御さんとか。

 

それに気がつくきっかけが、先生との神社での出来事でした。

 

今までは、私自身が困ったことがあった時には自分一人でどうにかしてきました。

 

でも、足が動かないという困りごとは、今までの困りごとと種類が違って、必ず何かでは人の手を借りなければいけない状況になってしまったんです。

 

親には介護のようなことをさせ、他人の手も借りて過ごしていたことを当時は受け入れられませんでした。

 

「どうせ面倒くさいと思ってるんでしょ」が口癖で、善意なんてあるわけないと、善意という概念さえ私には存在していませんでした。

 

今はこんなに温かい人たちがいて、そんな人たちに囲まれていることに幸せを感じられていますが、じゃあこの世界が本当に温かい人たちしかいないのかというと、現実はそうではありません。

 

やっぱりひどいことをいう人もいればそれを見て見ぬ振りをする人もたくさんいて、もしかしたらそういう人の方が割合的には多いかもしれません。

 

だって現に学校でも職場でもいじめや陰口は無くならないし、それを知っていて見て見ぬふりをする人はもっと多いと思います。

 

それでも、どこかには温かい人がいると信じて生きてほしいと思うんです。

 

そう思ったら世界がもっと優しく見えるようになりました。

 

電車で席を譲る人が1人いたら、あと10人くらいは「あ〜先越された」って思っている人がいるかもしれない、とかね笑

 

動かなかった人の中には、本当は動きたかったと思っているような人がいるんじゃないかって、目に見えない善意にも想い馳せられるようになりました。

 

もし、この世の中は冷たいと思っている人がいたら、私がされて嬉しかったように、私も手を差し伸べたいなって思います。

 

それをピアノ教室としてやれたら幸せです。

 

案外世の中悪くないよって。

 

最後までお付き合いくださりありがとうございましたm(_ _)m

 

 



「ごめんね」「もういいよ」

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みなさんこんにちは。

 

菜花柚仁です。

 

久しぶりの内観がありまして。

 

こうやって自分の心と身体と向き合うようになって5〜6年になります。

 

そのきっかけになったのは足が動かなくなって4ヶ月ほど車椅子生活を経験してからでした。

 

最初の方は内観も頻繁で、毎日と言っていいくらい。

 

最近は内観することも減ってきて、心も身体も安定してきています。

 

頑張ってきて良かったなって思っています。

 

それでもやっぱり、人間完璧になることなんてありえないので、時々こうやって突然の内観がやってきます。

 

それは、足が動かなくなった原因の一つと対峙しなければいけなくなったからです。

 

あの日と同じようなシチュエーションなので、何の因果なのかって思いました。

 

足が動かなくなるきっかけとなったその人とは、私が子供の時からの付き合いでした。

 

大好きな人でした。

 

それがあの日を境に大嫌いに変わってしまって、ずっと苦しんでいました。

 

その辛さも今となってはもうよくて、落ち着いていた頃に、その人と5年前と似たような状況で会うことになり、なんだかもやもやしてしまったんです。

 

許せないとか、憎んでるとかってわけではなくて、どんなスタンスで会えばいいかがわからなくなっていました。

 

大好きだった気持ちも思い出して、でも苦しんだ気持ちも思い出して、心の中がごちゃごちゃでした。

 

そのごちゃごちゃしたまとまっていない気持ちをとりあえず言葉にしたら、あることに気がついたんです。

 

大好きだった気持ちも、苦しんだことも全部手放して、はじめましての気持ちで会ってみようって。

 

本当は大好きな気持ちは無くしたくなかったんです。

 

でも大好きな気持ちを残そうとすると苦しんだことも追いかけてくるんです。

 

そりゃあ大好きな気持ちだけ残して、苦しんだことだけなかったことにするなんてそんな都合の良いことできないですよね。

 

また新たに、0から好きを作っていく方が、私にとっても相手にとっても良い気がします。

 

相手も変わろうとしている雰囲気があって、向き合おうとしていて、だからこそ私も真正面から向き合いたいって思いました。

 

一度積み上げたものを壊して、作り直せばもっと深く関係性を築けるんじゃないかって信じています。

 

あの人も私も同じ過ちを繰り返さないためのチャンスが来たと思って明日会いに行こうと思います。

 

最後までお付き合いくださりありがとうございましたm(_ _)m

嬉しすぎるんですけどぉおお〜

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みなさんこんにちは。

 

菜花柚仁です。

 

今日はとにかく嬉しいことがあったのでそのご報告です!

 

私は通信の大学院に通ってるんですが、色々あって入学してすぐ1年半お休みしてました。

 

長期履修で4年にしてあったのでまだ全然間に合うんですが、それでも焦りはありました。

 

そもそも大学院行きたいなぁって思ってから2年足踏みし、ようやく晴れて入学だ!ってなってからまた1年半足踏み。

 

足が動かなくなったり、震えて外に出られなくなったり、卵巣嚢腫の手術したり…

 

なんでやりたいことやろうと思ってるのにこんなに思うようにいかないんだろうって何年も苦しみました。

 

そして最近手術も終えて、さてレポートやらなきゃなって思ってはいましたが、今度は気持ち的にレポートがはかどりませんでした。

 

これには理由があって。

 

大学院ともなれば、基本文献の理解ができているかってだけでなく、どんな視点をもって知識をまとめているかってこととか、新しい知識や自分の考えを組み込めるかってことを見られるんだろうなって想像はしてて。

 

でも自分の意見を書くのが怖かったんです。

 

今まで私が受けてきた教育とか、周りの大人の人とのやり取りから「自分の意見は言ってはいけない」って誤学習してしまったんです。

 

小さい頃からお喋りが好きで、同級生と遊ぶより大人と話す方が楽しかったので、大人に混じっていろんな話を聞いているような子供でした。

 

小学生くらいまではどんなことを言ってもかわいいねですんでいたんですけど、中学を超えてから生意気だって言われるようになりました。

 

私の意見は何の理由も教えてもらえないまま否定されてきました。

 

音楽の先生の教員免許を取得するときの教育実習先でも、担当教諭は私の意見を聞くこともせず注意をしてきました。

 

もちろん先生の言うこともわかりますが、答えって一つじゃないと思うんですよね。

 

数学と違って教育なんて、相手や状況が違えば対応だって違ってくるわけだし。

 

私に考えなんてないと思っているのか、若いからなのか、聞きもせず私の考えは浅いと思っているのか…

 

とにかく、そんな経験ばかりで、自分の意見や考えを含めたレポートなんて怖くて出せませんでした。

 

そして今日締め切りのレポートを意を決して出してみました。

 

そしたら今日の今日で採点されて、S判定!!!!

 

こんなことって、とも思いますが私にとっては飛び上がるほど嬉しい出来事でした。

 

自分の意見をちゃんと聞いてもらえて、正当に評価してもらえるって、こんなに嬉しいんだってことを知りました。

 

もちろん、私の意見があまりにも偏っているのであれば、それをちゃんと客観的に評価してもらうのも必要です。

 

結局私は、良いも悪いもどんな評価をされても良いから、正当な評価を受けたかったんです。

 

ただそれだけだったんです。

 

最近は論文の面談も順調に進んでいて、その先生とのやり取りでも、ちゃんと見てくれていると感じられていたので、勉強がどんどん楽しくなってきました。

 

誰かの考えと誰かの考えをそれぞれが客観的に判断して正当に評価して、その上で新たな考えや発想が生まれる。

 

このプロセスを私はずっとやりたかったんです。

 

諦めないで良かったなって、努力してきて良かったなって、思えるくらいの出来事でした。

 

一つのレポートでS取っただけですけどね笑

 

大袈裟笑笑

 

でも、このことがきっかけで、勉強をもっと頑張って、論文のための研究をきちんと立証して、社会貢献に役立てられるようなものを作りたいと思います。

 

最後までお付き合いくださりありがとうございましたm(_ _)m

ポジティブすぎる(笑)

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みなさんこんにちは。

 

菜花柚仁です。

 

前回は不安がどーのこーの言ってたのに、今回は180度反対のテーマです。

 

もともと自分のマイナスの感情に疎い人間だったので、不安をちゃんと感じられてるだけでも進歩だなって思ってたんですけど、その先はもっと素敵な景色でした!

 

不安とか恐怖は感じてる時は辛いから避けたいけど、見て見ぬ振りしてると一生付き纏ってくるんですよね。

 

だからいっそのこと今回は不安を感じた時にリアルタイムで「怖いー!!」「手術嫌だー😭」って言うようにしました。

 

そんなこと言ってると、周りにいつまで言ってんだって思われそうで、というか周りの人には私の不安とか恐怖の話されたって関係ないよなって思ってたんです。

 

いやいや、みんなちょー優しかった!!

 

インスタのコメントにも優しい言葉を書いてくださる方もいて、世の中ってこんなに優しさでできてるのか!って思ったわけですよ。

 

だから、手術経験したうちのおばあちゃんとかおばあちゃんの弟とか、帝王切開経験した人とかに色々聞いて、だんだん気持ちが落ち着いてきたのです。

 

「寝てる間に終わっから!」とか「痛み止めで傷も痛くないし」とか「入院中色んな人と話して楽しかった」とか。

 

私のおばあちゃんに限っては、自分の手術を見てみたいって先生に言って止められた、とかって話を聞いて、そんな感じで良いの⁈って思ったし。

 

私が怖い怖いって言ってるとみんなすごく優しい顔で話を聞いてくれるし、手術の経験の話をしてくれる時もすごく優しい声で話してくれて、なんだか手術をきっかけに、こんなに優しい人がたくさんいるんだなって思いました。

 

ブログ見てLINEくれる人、自分でも気がつかなかった不安に気がつかせてくれた人、入院終わったらどこかに出かけようって言ってくれた人、なんて恵まれているんだろうって。

 

そうこうしているうちに、あんなに不安だった手術のことを悶々と考えることが減って、手につかなかった勉強もサクサク進む!!

 

1日勉強やり過ぎて耳の後ろが痛くなったり、頭とか肩とか痛くなってガッカリもしてたけど。

 

私は頭の使いすぎで暴走してしまうので、勉強した時の後が大変で、次の日は1日何もせず、頭を使わないぞって決めて過ごしてはいましたが、毎日できない自分に落ち込んでもいました。

 

でもそんな時父親が、「1日勉強して1日休んでを続けたら、毎日半日勉強してるのと同じでしょ」って言ってきて、目から鱗でした。

 

確かにって笑

 

毎日続けられない😭より、実質半日を毎日やれてる!って思える方が心にも身体にも良い!

 

だから結局何が言いたいかといいますと、ポジティブってポジティブ単体で成り立つものなんじゃなくて、ネガティブを超えた先にあるんだなって話なんです。

 

そのネガティブを超えるためには、たくさんの人の優しさに触れて、それに気がついて、幸せを感じることが必要なんだなって思います。

 

今までたくさん辛い経験をして、みんなどうせ私のことなんてどうでも良いんでしょって不貞腐れてたけど、そしてたとえ今優しい人が周りにいなくてもいつか必ず出会えると思うんです。

 

ていうか、そういう出会いを作りたくて3年半前に市民団体を立ち上げたんだなって気がつきました。

 

自分と向き合うために、心の先生とか身体の先生とかにも協力してもらいつつ、切磋琢磨できる仲間と一緒に自分を知る勉強をする場として。

 

そして、そんな仲間と先生たちと垣根なく高めあえて、お互いの優しさに触れ合って、幸せに生きていけるような場といて。

 

病気とか障害とか年齢とか性別とかそんな隔たりがない、この環境を絶対に大事にしようと思えるようになりました。

 

手術までのカウントダウンが始まっていて、そっちに気が取られそうにもなるけど、もっと先の楽しいこととか、優しい人たちのことを考えて頑張ります💪

 

そして、その感謝も込めて、市民団体や勉強や音楽の仕事を社会貢献としてやろうと思えました。

 

最後までお付き合いくださりありがとうございましたm(_ _)m

不安はあっても良いと思う(自閉スペクトラムの私の話し)

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皆さんこんにちは。

 

菜花柚仁です。

 

自分のブログを読み返してみて思ったことがあります。

 

それはネガティブな話とポジティブな話をどちらも書いているなって。

 

当たり前な話ですが、生きていくにあたってどちらかだけで生きていくなんて無理なんですよね。

 

もちろんネガティブなままで生きていける人はいませんが、ポジティブだけで生きていくこともできない気がします。

 

やっぱりどうしたって人は一生未熟だし、人との関係の中で傷つくこともあって、自分に嫌気がさすこともあります。

 

人のことを完全に理解することもできなければ、自分のことさえも完全に理解することはできません。

 

だから、頑張ってポジティブにならなくても、辛いかもしれないけど今はやっぱりしんどいって感じてるって思うことも大事なんじゃないかなって。

 

なんでこんな話を書いているかというと、最近少し悲しいことがあったからです。

 

起きた出来事も悲しかったけど、私の自閉スペクトラムの部分にも不安を感じさせる出来事でした。

 

私は突然のことが苦手です。

 

度合いにもよりますが、物事の急な変化やそれに伴う情報量の多さに頭がパニックになります。

 

その突然の一つの出来事が、沢山の変化をもたらすので、その後の自分の行動をどうしたら良いか分からなくなります。

 

逆に出来事を分析してわかりやすくプログラムを考えることが得意です。

 

だから実際は冷静に判断できれば、突然の出来事による変化の対応を効率良く組み替えることはできます。

 

しかも結構一瞬でできたりするので、多分私の自閉スペクトラムの苦手な部分と得意な部分の凹凸はここにあると思います。

 

障害がある人って、大なり小なり能力に凹凸があって、高いところがあるから低いところもできてしまいます。

 

その差が激しければ激しいほど社会で生きづらくなって、誰かのサポートが必要になります。

 

最近起きた出来事は、私自身の自閉スペクトラムの部分を思い知らされる出来事になりました。

 

その時はすごく不安になりました。

 

いくら頑張ってもどうしてもできないことがあって、こうやってパニックになることがあるのかって思ったら、なんだか怖くなりました。

 

でも、それは私一人でどうにかしようとしたから怖かったんです。

 

人は一人では生きられないって良く聞きますけど、障害があってもなくても得意不得意はあって、それを補い合って生きていくようにプログラムされているんじゃないかな。

 

じゃなかったら神様は人間を一人で生きていけるように完璧に作るはずですもん!

 

そうじゃないってことはやっぱり、人間同士力を合わせて生きていってほしいってことなんじゃないかと思うんです。

 

自分の不安をちゃんと感じてあげることが、協力し合うための鍵になっているような気がします。

 

今回のことで自分の不甲斐なさにショックも受けたけど、完璧じゃない自分を許してあげて、誰かを信じて頼るってことができるようになるための良いきっかけになりました。

 

だから不安はあっても良いと思います。

 

最後までお付き合いくださりありがとうございましたm(_ _)m

実は手術を控えています

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みなさんお久しぶりです。

 

菜花柚仁です。

 

本当は手術が終わってからブログを再開するつもりだったのですが、うずうずしてしまったので再開します。

 

おしゃべり好きなので黙ってられませんでした笑

 

気持ちが沈んでいる時に何かを発信してしまうと、読んだ人もマイナスな気持ちにさせてしまうんじゃないかと思って控えていました。

 

でも、なんだか最近手術が近づいているにもかかわらず、気持ちが上向きになってきているので、そろそろ良いかなと自己判断いたしました。

 

今回はどうして気分が上向きになってきたのかをお話ししたいと思います。

 

いつかのブログでお話ししましたが、私には卵巣嚢腫があります。

 

良性のものなので命に関わるものではありません。

 

なので、手術をするという予定はなかったのですが、2ヶ月前くらいに突然手術をする流れになりました。

 

卵巣嚢腫は食あたりになった時にたまたまCTに映っていて見つかったわけなんですが、そのあと3ヶ月くらい生理が止まってしまったんですよね。

 

そのことを先生に話したら、あれよあれよという間にホルモン検査したりMRI検査した後別の病院紹介されたら早々に手術の日程が決まりました。

 

日程が決まってから手術までは3ヶ月くらいあり、この期間がしんどかったんです😭

 

別に命に関わることでもないし、手術も簡単なものらしいし、今別段具合悪いわけでもないし…

 

だから不安や恐怖を一旦置いておいて過ごすことにしたのですが、全然時間は解決してくれませんでした。

 

手術が決まった時はさすがに不安が大きかったので、友達とか信頼している人たちに話を聞いてもらったりして、不安を払拭しようとしました。

 

話したその時は少し楽にはなりますが、なくなりはしないんですよね。

 

でも何回も私のただの不安な気持ちを聞いてもらうだけに時間を使わせてしまうのは申し訳ないと思って、3ヶ月ひたすら我慢しよう!と思ってました。

 

でも、ラスト1ヶ月あたりになって不安が膨れ上がってしまって、それを押し込めようとしている時のことでした。

 

私は団体を運営しているのですが、その団体の顧問をしてくださっている臨床心理士の大学の教授先生と毎月のミーティングでお会いし、先生とのちょっとしたやりとりであっという間に不安が解消されました。

 

びっくりです。

 

私は、私自身の感情に蓋をすることが得意で、嫌なことが過ぎ去るまで待つタイプでした。

 

それを人にわざわざ話したりもしないので、私が不安を抱えているということを知る人はあまりいないことの方が多かったです。

 

そりゃあ表に表現しないので、誰にも気が付かれないのは当たり前ですが、先生とのやりとりで誰かに自分の不安を知ってほしいと思っていたことに気がつかされました。

 

先生にはもともと手術をすることは話してありましたが、その日先生が私に向けてかけた言葉の第一声が「大丈夫か?」でした。

 

だいたいの人は、良性のもので命に関わりはないと話すと「良かったね」と言います。

 

確かに良かったんですが…

 

それとこれとは別というかなんというか。

 

それでも先生は「大丈夫か?」と聞いてくださって、なぜか何も答えられず私が黙っていると「そりゃあ不安だよな。卵巣ともなると女性にとってはますますな不安材料だろうし。怖いよな。」って。

 

いつもだったら「大丈夫か?」って聞かれたら「大丈夫です☺️」って答えるんですが、この時は多分大丈夫ですと答えたところで大丈夫じゃないことを先生は知っているんじゃないかと思って何も答えられませんでした。

 

結局これが欲しかったんだなって。

 

別に命に関わることじゃなかったとしても、頭では理解していたとしても、ただただ不安だってこと、怖いってこと、大丈夫じゃないってことを。

 

それを分かってくれただけで一瞬で不安が無くなってしまいました笑

 

単純笑笑

 

でも私だけじゃないと思うんですよね。

 

大丈夫じゃない時に、気がついてほしいことってありますよね。

 

私も先生みたいに、誰かの傷みに気が付ける人になりたいななんて思ったりしています。

 

きっとみんな何かを我慢して頑張ってるよねって思えるようになった出来事でした。

 

おしまい。

 

最後までお付き合いくださりありがとうございました!!