菜花柚仁「自閉スペクトラム」を楽しんで生きる

仕事をしながら心理学科に通っています。 特に子供の心理や発達について研究をしています。 私自身が自閉スペクトラムと診断されていることもあって、そんな一人一人の特徴や能力を生かした過ごし方を発信していけたらと思っています。

モラハラがモラハラを生む方程式

 

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皆さんこんにちは。

 

菜花柚仁です。

 

いつもは比較的ポジティブな事を書いていますが、ネガティブな事が存在しないなんて、人間であれば不可能ですよね。

 

私が精神科に行って受けたカウンセリングは、まず「ネガティブな感情を感じるようにすること」でした。

 

トラウマになると、人は無意識にその記憶や感情に蓋をします。

 

自分を守るために。

 

私は自分の心に蓋をし続けた結果、心が悲鳴を上げ、その感情を身体で表現してしまうようになりました。

 

それが身体症状症です。

 

心は何も感じていないつもりなのに、身体が動かなくなったり、震えたり、喋れなくなったりします。

 

誰しも、我慢をするなんてことは当たり前にあると思いますが、それを続けると病気になります。

 

私のこの症状は長年培ってしまったものではありますが、病気の発症にはきっかけがありました。

 

今回はその話をさせていただきます。

 

私は2度、パワハラモラハラを経験しました。

 

最初は大学生の時のバイト先です。

 

そのバイト先はお客さんを贔屓するところでした。

 

高額なものを買ってくれる人にはこう、とか

 

何故か料金を頂かない人がいる、とか

 

どんな法則でその人たちを選んでいるかもわからないので、対応するのが難しかったです。

 

そんな時、私は間違えてしまいました。

 

贔屓する人じゃない人の前で、その話題を出してしまったのです。

 

その日の仕事終わりに呼び出され、人格否定や親までをも話題に出され、世の中にはこんなに恐ろしい人がいるのかと、恐怖を覚えました。

 

2度目は大人になったとき、信頼していた長年の知り合いから受けました。

 

2度目を経験して感じた事があります。

 

その人は私に対して加害者だったかもしれないけど、どこかでは被害者だったということ。

 

1度目の方が被害者だったかはわかりませんが、人間形成において、幸せだと感じられて生きてきた人間が、誰かに危害を加えることはあまりないと思います。

 

きっと家庭環境や社会に出てからの様々経験で、大変な苦労をされたのだと思います。

 

特に2度目の方は、前の職場でかなりの苦労を強いられていました。

 

見ているこちらも辛くなるほど。

 

その人はその辛い経験を生かし、もっとより良い職場を作りたいと信念を持ってお仕事をされていました。

 

とても良い信念だと思います。

 

しかしここには大きな落とし穴があるのです。

 

今まで自分が受けてきた辛い経験の相手に対して

 

「あんな奴には絶対にならない」

「あんな奴は絶対に許さない」

 

そんな気持ちから突き動かされている場合、最初は被害者だった人が、加害者になる可能性を秘めているのです。

 

もちろん私もその可能性を秘めています。

 

辛い経験はどんどん蓄積され、相手を憎み、どんどんと負の感情が増幅します。

 

しかし感情が強ければ強いほど、相手に自分の影を見るようになります。

 

自分も相手と同じ影を持っているということです。

 

同族嫌悪と言う言葉もありますが、本当は自分の中にもある影を相手に見て、強く嫌悪するのです。

 

その影はどんどん膨れ上がって、しまいにはその感情に支配されて、最終的に加害者へと変貌を遂げます。

 

そうならないためには、辛い経験をまず、吐き出す事が大切です。

 

怖かった、辛かった、むかつく、許せない、こんなこと思ってる自分も嫌だ。

 

私もたくさん吐き出して、たくさん泣きました。

 

飽きるまで言い切りました。

 

それでもまだ赦せない時は辛抱強く待ちます。

 

まだ赦せていない自分も赦します。

 

辛い経験を癒すには長い時間が必要です。

 

そうしていくうちに、いつのまにかそんなこともあったなと、過去にできたら、ようやくモラハラの連鎖を止める事ができるのです。

 

何故私がこの話を書いたかと言うと、たまたま加害者の相手からの前に送られてきたLINEを見返してしまったことがきっかけでした。

 

内容を読むと、喉がギュッと締め付けられて、息が苦しくなって、涙が止まらなくなりました。

 

まだまだ私の心は傷ついているようでした。

 

だからまだ私は赦しの途中なのでしょう。

 

私はこのモラハラの連鎖を止めるために、あの人を赦せるようになるまでゆっくりと待っています。

 

加害者が悪いわけでも、被害者から加害者になっても、何も誰も悪くありません。

 

負の連鎖はどこが始まりかなんてわからないのです。

 

そこは誰も知る事ができないのです。

 

だとするなら、これからの未来、私たち大人が次の世代に負の連鎖を引き継がないようにする事が、赦せるようになる事が、何よりも自分のためにもなり、世の中の平和につながるのではないでしょうか。

 

今もなお、被害者だったあの人は誰かにとっての加害者になっています。

 

この連鎖をどうか断ち切って、幸せな世の中になることを願っています。

 

私も頑張ります。