菜花柚仁「自閉スペクトラム」を楽しんで生きる

仕事をしながら心理学科に通っています。 特に子供の心理や発達について研究をしています。 私自身が自閉スペクトラムと診断されていることもあって、そんな一人一人の特徴や能力を生かした過ごし方を発信していけたらと思っています。

障害児施設で出会った子供達のすごいところ。

 

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皆さんこんにちは。

 

菜花柚仁です。

 

何日か前に食あたりになり、ベッドの上で過ごしていたので、ブログを書く時間がたっぷりあります。

 

明日からはまた忙しい日常に戻ると思いますので、更新がゆっくりになると思いますが、時々遊びに来て頂けたら嬉しいです。

 

今日のお話は、中学生の頃に通っていた障害児施設でのボランティアでのことを書きたいと思います。

 

ボランティアを始めたのは中学2年生の時。

 

母が働いていて、兄もそこにボランティアに行き始めたので

「ずるい!私も行く!」

と言って、ボランティアをすることになったのが始まりでした。

 

私は中学生の頃、本当に学校に行きたくなくて、無理くり通っている状態でした。

 

別に、いじめられていたとか、何か嫌な事があったとかではないのですが、とにかく学校が苦痛でした。

 

そんな苦しい日々の救いだったのが、ボランティアでした。

 

中学校の時の同級生とは1人も連絡を取り合っていないのですが、ボランティアで知り合った施設の子供たちとは時々遊びに行くと

「久しぶり!」

と駆け寄ってくれる子もいます。

 

当時は、ボランティアといっても同じ年齢の子も結構いたので、私としては友達に会いに行くという感覚でした。

 

大人の人からは

「やっぱり子供同士だから仲良くなれるのかな?」

とか言われたけど、自閉スペクトラムと診断されてから

「だからか。」

と思いました。

 

ただ、同じような世界観の人間だったということです。

 

私は今でもあの子達が大好きです。

 

私が中学生まで生きてきて、はじめての本当の友達があの子達だと思っています。

 

ただ、中学生でボランティアをしていると、利用者の子供たちの視点も見えるし、支援している側の視点も見えてきます。

 

私も大学生あたりになると、段々と見えてくることもあって、現状に悲しくなることもありました。

 

どこの施設でも、子供たちのことを考えたり、そのご家族のことを考えているのはもちろんだと思います。

 

でも、働いている人も同じ人間で、いろいろなものを抱えているのも事実です。

 

その抱えているものの影響で、純粋に子供たちのための行動ができなくなっている姿を近くで見てきました。

 

仕事も忙しい上に、それぞれの家庭でのこと、過去の辛い経験、昇華されないまま過ごしている人が大半です。

 

みんな本当は同じ気持ちで

「幸せになりたい」「幸せになってほしい」

と願っているのに、進んでみると真逆をいっている。

 

そして、この状況を近くで見ていたものとして、思った事があります。

 

こちらのブログでも書きましたが

モラハラがモラハラを生む方程式 - 菜花柚仁「自閉スペクトラム」を楽しんで生きる

 

人は負の連鎖を止められず、その問題がどんどん大きくなっています。

 

それはパワハラモラハラだけの問題ではありません。

 

一つ例をあげるなら、メサイアコンプレックスでしょうか。

 

河合隼雄先生のコンプレックスの本に書かれてあるものですが、負の連鎖の一つの要因だと私は思っています。

 

メサイアコンプレックスとは

「誰かのために何かをしてあげたい」

という気持ちが強く、それは相手のためではなく、自分の満足感や承認欲求を満たすためのものだったりします。

 

一見良い人なので、メサイアコンプレックスだと見分けることは難しいですが、これが行き過ぎると、人間関係のトラブルを引き起こしかねません。

 

なぜかというと

「こんなにやってあげてるのに」

「私だけなんでこんなにやらなきゃいけないの?」

「良いことしてるんだから、みんな私のこと助けてくれて当たり前」

などなど、他の人に何かを求め始めます。

 

このような方々も、最初は善意なのです。

 

本当に心から、世のため人のためを思っていたのだと思いますが、自分の課題を置いておくと、どこかで歪が起きます。

 

そんな状況をボランティアで見てきました。

 

子供だった私は

「大人は苦しんで生きてる」

「いがみ合っている」

「ストレスを抱えている」

「ぶつけ合っている」

 

そして

「大人になりたくない」

と思いました。

 

そんな大人のイライラは子供たちも感じ取っていて、障害があるから分からないだろうなんてことはなくて、障害があるからこそ言葉ではない心に敏感で、大人に気を遣っていました。

 

私はその子たちとそういう話もしたり、アイコンタクトしたりして、その場をしのいでいました。

 

ただ、大人が悪いと言う話ではありません。

 

モラハラの話と同じで、これは先祖代々受け継がれた負の連鎖なのです。

 

ここを断ち切るために、努力が必要なだけなんです。

 

そこで一つ、私が書きたいことは

「障害の子供達はこの負の連鎖を止めるために生まれてきたのではないか?」

ということです。

 

あの子達は誰のことも憎んでいません。

 

ただ素直に生きているだけです。

 

言葉が話せない子は特に、誤解されることも多く、本当は優しさからの行動も、多動だと決めつけられたり、意味のある行動も制止されたりしています。

 

私は誤解されるとすごく嫌だし、しかもその誤解のまま怒られる時なんかますますムカつきます。

 

聞いてくれもしないくせに、勝手に思い込んで、しかも怒るなんて、どんだけ勝手なんだ!って思います。

 

でも、あの子達は違います。

 

赦してくれるんです。

 

だから私は大好きなんです。

 

あの子達が。

 

だから私はあの子達が、世の中を救うヒントになる宝物だと信じています。

 

心だけの話ではありません。

 

例えば障害のような症状が出る原因が

「環境汚染からくる食材の質の低下によって、重金属が身体に溜まってしまったから」

ということも考えられます。

 

とにかく、あの子達から知れることがたくさんあるはずなんです。

 

表面上の大変さだけでなく、その隠されたたくさんのヒントを見つけ出せるような世の中になることを強く願っています。