憧れの長電話
皆さんこんにちは。
菜花柚仁です。
自閉スペクトラムの診断を受ける時、知能検査をしたのですが、何の凹凸もありませんでした。
でも先生は私を自閉スペクトラムと診断しました。
多分聞き取りの中でそれらしい面が多々あったのでしょう。
もし脳の中で苦手なことがあったとしても、得意な部分で表面上の凹凸をなくすことはできるらしいです。
だから多分私に社会生活は問題ないと言ったんだろうなと思います。
でも診断されてからやっぱり実感する部分があるんですよね。
アスペルガー的なところで。
空気が読めないということはあまりなかったとは思いますが、それは普通に読めていたわけではなさそうで。
普通という人たちには、登場人物として、「私」と「あなた」の他に、「第三者」のことも理解できるという、能力が備わっています。
第三者は必ずしも人というわけではなく、今ここにいないどこか違う場面の話だったり、状況や心情だったりを慮る能力です。
人とのコミュニケーション上、「私」だけの登場人物で完結できることはまずないので、そこが苦手な人は確かに人付き合いは難しくなると思います。
その点私は状況の把握ができていると思っていましたが、ちょっと違うような気がしてきています。
先程の「私」、「あなた」、「第三者」のことを三項関係というのですが、私はその三項関係がわかっていたのではなく、分析能力で補っていたんじゃないかと思うようになりました。
一応空気は読めたりするんですが、読めたとしてもどうしてその気持ちになるのかは理解できません。
だってその相手の気持ちは、正しいか間違っているかで考えると、その人本人の心理の問題で発生している気持ちの場合があります。
その時、こちらは空気を読むべきかどうか、でも読んだ方がことは穏便に済むな、とか色々考えてものすごくストレスになります。
障害あるなしに関係なく、そういったストレスはあると思いますが、私の場合の問題は、ついホロっと相手の地雷を踏んでしまうことです。
私が人とコミュニケーションを取るときの第一優先は、誰かの気持ちというよりは、それが正しいかどうかでした。
人の気持ちは単純ではなく、いろんな経験があり、一つの感情とっても、どうしてその感情が生まれたのかは未知数です。
それは本人にだってわからないことです。
そこまで考えてしまうと答えなんて出てこなくなってしまいますが、私は結局、あまり融通のきくタイプではないことは確かです。
だから学生時代は友達と学校以外での関わりはなく、しかもそのことに対して悲しいとも思っていませんでした。
そういえば私以外でどこか遊びに行ってたりして、学校でその時のことを話していたけど、それもあまり気にしていなかったな。
でも、今はそれぞれの気持ちに歩み寄れる友達がいて、あの頃本当は寂しかったということに気がつきました。
学校帰りに友達と寄り道したり、コンビニで肉マン買ってみたり、中身のない長電話してみたり。
大人になって、そんな何気ない日常に憧れるようになりました。
今さらですが、その憧れを少しずつ叶えているところです。
ちょっと、いやかなり?色々欠けている私だけど、今の幸せを噛み締めて生きていきたいです。