不安はあっても良いと思う(自閉スペクトラムの私の話し)
皆さんこんにちは。
菜花柚仁です。
自分のブログを読み返してみて思ったことがあります。
それはネガティブな話とポジティブな話をどちらも書いているなって。
当たり前な話ですが、生きていくにあたってどちらかだけで生きていくなんて無理なんですよね。
もちろんネガティブなままで生きていける人はいませんが、ポジティブだけで生きていくこともできない気がします。
やっぱりどうしたって人は一生未熟だし、人との関係の中で傷つくこともあって、自分に嫌気がさすこともあります。
人のことを完全に理解することもできなければ、自分のことさえも完全に理解することはできません。
だから、頑張ってポジティブにならなくても、辛いかもしれないけど今はやっぱりしんどいって感じてるって思うことも大事なんじゃないかなって。
なんでこんな話を書いているかというと、最近少し悲しいことがあったからです。
起きた出来事も悲しかったけど、私の自閉スペクトラムの部分にも不安を感じさせる出来事でした。
私は突然のことが苦手です。
度合いにもよりますが、物事の急な変化やそれに伴う情報量の多さに頭がパニックになります。
その突然の一つの出来事が、沢山の変化をもたらすので、その後の自分の行動をどうしたら良いか分からなくなります。
逆に出来事を分析してわかりやすくプログラムを考えることが得意です。
だから実際は冷静に判断できれば、突然の出来事による変化の対応を効率良く組み替えることはできます。
しかも結構一瞬でできたりするので、多分私の自閉スペクトラムの苦手な部分と得意な部分の凹凸はここにあると思います。
障害がある人って、大なり小なり能力に凹凸があって、高いところがあるから低いところもできてしまいます。
その差が激しければ激しいほど社会で生きづらくなって、誰かのサポートが必要になります。
最近起きた出来事は、私自身の自閉スペクトラムの部分を思い知らされる出来事になりました。
その時はすごく不安になりました。
いくら頑張ってもどうしてもできないことがあって、こうやってパニックになることがあるのかって思ったら、なんだか怖くなりました。
でも、それは私一人でどうにかしようとしたから怖かったんです。
人は一人では生きられないって良く聞きますけど、障害があってもなくても得意不得意はあって、それを補い合って生きていくようにプログラムされているんじゃないかな。
じゃなかったら神様は人間を一人で生きていけるように完璧に作るはずですもん!
そうじゃないってことはやっぱり、人間同士力を合わせて生きていってほしいってことなんじゃないかと思うんです。
自分の不安をちゃんと感じてあげることが、協力し合うための鍵になっているような気がします。
今回のことで自分の不甲斐なさにショックも受けたけど、完璧じゃない自分を許してあげて、誰かを信じて頼るってことができるようになるための良いきっかけになりました。
だから不安はあっても良いと思います。
最後までお付き合いくださりありがとうございましたm(_ _)m