菜花柚仁「自閉スペクトラム」を楽しんで生きる

仕事をしながら心理学科に通っています。 特に子供の心理や発達について研究をしています。 私自身が自閉スペクトラムと診断されていることもあって、そんな一人一人の特徴や能力を生かした過ごし方を発信していけたらと思っています。

弱みを見せること

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みなさんこんにちは。

 

菜花柚仁です。

 

誰かにこれを言ったら弱みになると思っていました。

 

なんの気なく題名を「弱みを見せること」と書きましたが、そもそも何が弱みになるんだろう?弱みの定義ってなんだろう?と、ふと思いました。

 

草食動物は怪我をしたことを肉食動物に知られてしまったら、捕食されてしまう危険がありますよね。

 

人間にも本能があるわけだし、弱みと感じることを見せないようにするのは当たり前なんでしょうけど。

 

人間なんだから取って食われるわけじゃないのに、どうして隠そうとするのかな?

 

そう考えてみたら、「常識」とか「普通」から逸脱していると、否定されたりするからでしょうね。

 

でも、自分が思っている常識自体、本当に常識なのかを証明することもできないし、常識は時代によっても変化するし。

 

多分私の弱みのは

○自閉スペクトラムであること

卵巣嚢腫があること

○男性恐怖症でトラウマがあること

です。

 

これで私が野生動物だったら、弱みを見せてしまったので死んでしまっていることでしょう。

 

私は人間なので、死ぬことはありませんが、弱みを見せたことによって、世間の常識に殺される可能性はあります。

 

世間になんと言われようと、私が「死ぬという選択」をしなければ済む話ですが。

 

偏見って結構頻繁に起こっています。

 

なんの気なく発した言葉に、偏見が混ざっていることは日常茶飯事です。

 

例えば、私が「自閉スペクトラムと診断された」と誰かに伝えると、相手は「全然そんな風に見えないし、別にそう思わなくても良いんじゃない?」と言います。

 

思わなくて良いってどういうことでしょうかね?

 

だいたいこういう返し方をする人は別に悪気もないし、なんなら優しい人たちです。

 

これを言われたからといって傷ついたわけではありませんが、でも偏見には変わりないなって思います。

 

私にとって自閉症スペクトラムは私という人間を一言で表すとした時の形容だと思っています。

 

もちろんどんな人か?と言われて一言で表せるものではないので、自閉症スペクトラムは私の一部でしかありません。

 

おっちょこちょいな人ですとか、面白い人ですとかと同じだと思っています。

 

だから私は比較的自閉スペクトラムに関してはあまり気にしたことがありませんでした。

 

でも、私にとって1番厄介な弱みは男性恐怖症でトラウマがあることです。

 

トラウマって、考え方を変えましょうとかの次元になくて、自分でもわからないタイミングで呼吸が苦しくなったり、私の場合は足が動かなくなったりします。

 

たとえ相手が危険な相手でなくても、です。

 

男性恐怖症であることを女性に話しても、男性に話しても、どちらも失敗したことがあります。

 

別に自分の話をする必要もないし、現に私の過去を同級生に話したりしたら、それは人に話さない方が良いと引かれました。

 

私にしてみたら、人の話を聞いて引くなんてそんな権利ないし、そもそも引くというのはその人の人生の中ではあり得ない出来事だったってだけのことだし、それこそその人の世界観の狭さが引くってことにつながってるんじゃないかな?って言ってる私も偏見なのかもしれないし。

 

とかなんとか言ってると、もはや何が正解かなんてわからないわけだから、結局なんでもありじゃね?ってことを言いたいだけです(笑)

 

ただ、私の中で厄介なのが、男性に自分が男性恐怖症だと話した時の相手の出方です。

 

引いてくれた方がまだマシって場合もあります。

 

私が男性恐怖症だということを男性に話す意図としては、だからこれ以上踏み込まないでねって意味だったりします。

 

でも、何故だか、自分には打ち明けてくれたと思われてしまって逆効果になることがしばしば。

 

じゃあ話さなければ良いじゃないかって思うかもしれませんが、話さないなら話さないで結局踏み込まれたりもします。

 

八方塞がりです。

 

最近は色々あった自分の問題もある程度解決できてきましたが、トラウマばっかりは自分ではどうすることもできません。

 

細胞が覚えているレベルなので、私には細胞をコントロールする能力はありません。

 

それでも、弱みを含めた自分の全てを理解してくれる人はやっぱり必要です。

 

それは甘えるわけでもなくて、依存するわけでもなくて、自分を認めてくれる人の弱みを含めた全てをこちらも認めてあげる、という関係性です。

 

寄り添うって言葉で言うのは簡単ですが、相手にとって自分が言ったこととか行った行動が本当に正しいのかなんて誰にもわかりません。

 

だから、人と人が対等に、そして依存のない信頼関係を築くためには、何かを言うとか何かを行うんじゃなくて、ただただ心の中で認め合うことしかないんじゃないかと思うんです。

 

弱みを見せることで、本当に嫌なこととかもありました。

 

それがますますトラウマを深めてしまった原因でもあります。

 

それでも怖がって誰にも弱みを見せずに生きていたら自分が壊れてしまうから、本当の自分でいられる相手を見極められる「勘」を大切にしたいなと思いますね。

 

最後まで読んでくださりありがとうございました‼︎

生きててよかった

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みなさんこんにちは。

 

菜花柚仁です。

 

突然ですが、最近知り合いの身体をほぐしてあげたことがありまして、その時にその人が言っていたことがあります。

 

「力が抜けてみると、力が入ってたことに気がつくね。」

 

本当にそれなんですよね。

 

身体が楽になったり、心が楽になって初めて、今まで大変だったってことに気がつくんです。

 

身体をほぐすと一言で言いましても、ただ闇雲にマッサージするわけではございません。

 

例えば、ものすごい剣幕の相手が目の前にいて、自分に感情を向けてきていることがわかっている時、自分の身体はどうなっているでしょうか?

 

眉毛がハの字になったり、肩が上がって力が入っていたり、恐怖で手に汗握っているかもしれません。

 

いつもいつも怒られているわけではないにしても、心のありようが身体に現れてしまうんですよね。

 

だいたい人が考えていることなんてわからないものなので、相手は笑っているけどもしかしたら気に食わないことがあるかもしれないな、とか思うと不安になりますし。

 

日頃の人間関係の中で、相手にどう思われているのか気になっている方は、もしかしたら身体に現れているかもしれません。

 

なんでこんな話を始めたかと言いますと、普段お仕事でピアノのレッスンをしていると、子供達と関わることが多い中、心が身体に現れていることが沢山あります。

 

身体をほぐしてあげることもしますが、何より心が安心感に包まれていないと、また身体は固まってしまいます。

 

知り合いの人の身体をほぐしてあげた時、子供達のことを思い出し、そして思ったことがありました。

 

今目の前にいるこの人も、私がレッスンしている子供達も、もしかしたら世の中のどんな人も、どれだけ身体を硬くして、ということは心も硬くして、そしてそれに気が付かずに過ごしているんだろう?

 

心は無意識ということが大半なので、今自分がどう感じているのかとか、本当はどんな感情があるのかとか、自分のことでも分からないことの方が多いのが事実です。

 

それでも、少なくとも、私の周りには身体や心を硬くして、日々頑張っている人達が沢山います。

 

私もそのうちの1人です。

 

最近美容室に行って髪を切ってもらったのですが、肩を揉んでもらった時はじめて凝っていることに気がつきました。

 

私が精神科でトラウマ治療を受けた時、マイナスな感情をしっかりと感じる作業をしました。

 

そして、その時私はカウンセラーさんに

「そもそもマイナスもプラスもあまり感じない方なんです」

と話しました。

 

そしたらカウンセラーさんは

「マイナスな感情を感じたくない場合は、感情の振り幅自体をなくすことが1番の方法なので、その場合プラスな感情も感じにくくなります。」

と言っていました。

 

何か大変なことがあればあるほどなかったことにしたいし、みんなきっとこれだけ大変な思いをしているんだろうと何かしらの理由をつけて自分自身を納得させることだってあります。

 

それがまた無意識の場合もあります。

 

本当は、一回一回の感情を大事に理解して、何が嫌なのか、何に不安なのか、何が怖いのか、ということを知ることが必要です。

 

ただ、マイナスな感情に向き合うためには、そのマイナスを凌駕するほどの愛情に包まれる必要があります。

 

じゃないと耐えられないですもん!

 

私自身、書き切れないほどの辛い出来事で、心も身体もボロボロになりましたが、それ以上の愛情を家族と友達やたくさんお世話になった方々にいただきました。

 

お世話になった先生から

「絶対に死ぬなよ。」

と言われたことがあります。

 

あの頃はその言葉は私の心に何も響きませんでしたが、今なら言葉に愛を感じます。

 

こんなに私のことを心配してくれて、私が自分の力で這い上がることを信じてくれていたということを。

 

だからもし、私の目の前に、マイナスが多過ぎて自分のそのマイナスと向き合うのが辛いという人が現れた時、私のもらってきた愛情をその人にお渡ししたいなって思うんです。

 

1人のちっぽけな人間がたいしたことができるわけではないのですが、その人がもしマイナスに落ちているなら、君ならできると心の中で願いながら、絶対に味方だよって思い続けたいなって思うんです。

 

実際、周りのみんなはそれを言葉で言ってくれたわけではありませんが、マイナスからプラスに戻ってこられた時、その心の声が沢山私に流れ込んできました。

 

そして、生きててよかったって思いました。

 

だから、私も、いただいたたくさんの愛情をこれからの子供達にダダ漏れにしていきたいなって思います。

 

直接言うと、うざったく思われてしまうので、ブログに書かせていただきました。

 

最後までお付き合いくださりありがとうございましたm(_ _)m

 

幸せに限度なんかない

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みなさんこんにちは。

 

菜花柚仁です。

 

ブログを始めてから4、5ヶ月くらいが経ち、定期的に見てくださっている方々がいらっしゃるようで、とても嬉しく思っております😭

 

本当にありがとうございます。

 

自分の表現したものが、誰かに届いていると思ったら、ふと、ブログ書いてよかったな〜と感じました。

 

今後ともよろしくお願いします☺️

 

そして、昨日はひな祭りでしたね。

 

2ヶ月くらい前からシェアハウスを始めまして、そのシェアハウスの仲間とひな祭りパーティーを行いました。

 

シェアハウスといってもそういうコンセプトでYouTubeの撮影をしているってことなのですが。

 

でも、毎回撮影のたびに集まると、他人だけど家族のような暖かさがあって、素敵な空間です。

 

もちろん一緒に活動している仲間たちは私が自閉スペクトラムと診断されたことを知っていますが、どんな私でもウェルカムな空気で、自由にさせてもらってます。

 

ありがたいことです。

 

今回はひな祭りということで、一緒に活動している保健師さんのお子さんたちも駆けつけてくれました。

 

賑やかな大家族のようになっていました。

 

シェアハウス動画では、健康についての情報発信をしてはいますが、情報がメインというより、健康になった上での人間関係って思っている以上に幸せを感じられる!!というのをお届けしたいな〜というのが本音です。

 

仲間たちみんな、本当にいろいろあったんです。

 

それぞれ波瀾万丈です。

 

目の前にある問題に振り回されて、幸せを見失っていたんですよね。

 

多分。

 

目の前にある問題を解決する糸口が、目の前のものとは限りません。

 

後ろを振り返ってみたり、まったく別の角度から見てみたりすることが、幸せへの道です。

 

その幸せへの一歩が健康だということを私たちは実感しています。

 

一応私は心理学科の大学院生ですので、心理の勉強をしているわけではありますが、勉強していて思ったことがあります。

 

世の中に出回っている数々の心理系の本の中には、嫌いな人には○○をすると良い、とか、○○のための5つの方法、みたいなネーミングの本ってありますよね。

 

人間には錯覚というものもあるし、行動心理学的なところから考えても、ある程度人間の気持ちをコントロールできるのも間違いではないとは思いますが。

 

それって結局表面的なんだろうなと思うんです。

 

たとえカウンセリングをしたとしても、相手に本当のことを伝えるとも限らないし、自分自身でも無意識の部分があるかもしれないし。

 

本当の意味でのコントロールなんてできないんじゃないかなと。

 

第一印象には笑顔を作ると良いでしょうとか、悪い習慣を止めるためには逆にノルマ化すると辞められるとか、自分を嫌ってくる人は相手の課題だとか、それで終わらせてしまって良いのでしょうか?

 

笑顔が自然にできないのはどうして?

悪い習慣の原因は?

自分を嫌っている相手は本当に自分を嫌っているのか?

 

そうやって一つ一つ紐解くと、いつのまにか自分で自分の首を絞めていることに気がつきます。

 

というか、気がつきました。

 

そのうちの一つが健康でした。

 

タンパク質が足りていなかったとか、鉄が足りていなかったとか、ビタミンB2が足りていなかったとか。

 

これは全部私のことです。

 

尿検査したら特にビタミンB2が足りなくて、定期的に検査しても足りないままだったので、サプリで補うことにしました↓

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それによって脳内神経やら自律神経やらなんやかんや正常に働いてくれなくて、不安感も強まるし、人間不信も強まるし、世界が全部敵に見えるしで生きてるのが辛かったですよ。

 

そんな私が今仲間と子供たちに囲まれて、こんなに幸せで良いのでしょうか?というくらい。

 

今までの人生の中でだって楽しいこととか幸せに感じることとかはありましたよ、もちろん。

 

なのに、最近の幸せボルテージが上がりっぱなしでそれはそれで大変です。

 

でも、今の仲間に出会えたきっかけはやっぱり健康を意識したことにあります。

 

どうか私と一緒に、健康の大切さを広めてはくれまいか!とルフィのように仲間集めをして、ようやくこの幸せな空間にたどり着くことができました。

 

集まっただけでなく、それぞれが切磋琢磨して心と身体に向き合っていくとともに、幸せボルテージも上がっていきました。

 

もうこれ以上ないだろうと何度も思いましたが、記録は毎日更新されていきます。

 

この感覚を1人でも多くの方と共有できたら、これまた今以上の幸せを感じられるんじゃないかと思っています。

 

これで良いなんて思わずにもっと幸せになってみせますとも‼︎

 

最後までお付き合いくださりありがとうございましたm(_ _)m

 

 

※ちなみに

ビタミンB2とビタミンB6って正反対の性質を持つらしいんですよね。

それぞれブレーキとアクセル的な役割になるみたいですが、私はB2が足りないのでブレーキがぶっ壊れてたみたいで、何かやり始めたらやめられないくせに、体力使い切って何日間か何もできなくなったりするんだったんです😭

それが今じゃ作業の途中で、ちょっと休憩しようかな?なんて思えたりするし、変に興奮して疲れ切ることもないしでめっちゃ過ごしやすくなりました!

でも、サプリって実は簡単に摂って良いものではないので、しっかり検査してからお試しくださいね!

これが1番大事!

 

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もし検査してもよくわからないという方は私のインスタのDMにでもご連絡くだされば、保健師さんにつなぎますので🙌

地震は侮れない

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みなさんこんにちは。

 

菜花柚仁です。

 

少し前に大きな地震がありました。

 

私は宮城県の人間なので、5強〜6強あたりの震度でした。

 

それからしばらく余震が続いていました。

 

3.11の時も宮城にいたので、それから比べるとまだ耐えられるかなっていうくらいでした。

 

3.11の時は自宅に1人でいました。

 

いつまでも揺れがおさまらないので玄関を開けようにも動けなかったです。

 

たまたま私が立っていた位置が何も落ちてこない場所だったみたいで、どうにかことなきを得ましたが、それから何日間もガス、電気、水道が止まって食料の調達も大変だったのを覚えています。

 

今回の地震はそこまでではありませんでしたが、ちょっと驚くべきことが起こりました。

 

夜、地震が起きた時は2階の自分の部屋にいました。

 

結構な揺れでしたが、怖いとかどうしようとか何も思わず揺さぶられていました。

 

いつまで揺れるのかな〜程度に思っていました。

 

激しい揺れの中、私の部屋に母が入ってきて勢いよく私の手を引っ張り、1階に連れていかれました。

 

少しして揺れがおさまって、リビングのソファに座っていたら左足に違和感を感じました。

 

左足がガクガク震え始めて、歩こうと思ったら動かなくなっていました。

 

私は数年前に、精神的なショックで足が動かなくなったことがあります。

 

一度動かなくなる経験をしてしまった足が、また地震の衝撃で動かなくなってしまいました。

 

本当に怖いとかいう感情はなかったのですが、前の精神的なショックを受けた時に脳の扁桃体が過剰に危険を察知してしまうようになったのかもしれません。

 

テレビで見たのですが、ヤギを驚かせると失神するらしいです。

 

だから、動物は危険を察知すると身体が停止してしまう仕組みが備わっているってことなんですよね。

 

地震の時に停止されたらたまったもんじゃないですが。

 

自分でも気が付かないうちに、地震というのはかなりのストレスになっているんだなということを感じさせられました。

 

そこで思ったのですが、宮城県不登校数って震災以降増えてるんです。

 

震災と不登校の関連性が必ずあるとは言い切れないにしても、地震が相当のストレスだということを今回感じてしまった身としては、ないとも言い切れないなと思ってしまいました。

 

不登校についての話はこちらのブログに書きました↓

不登校には意味がある - 菜花柚仁「自閉スペクトラム」を楽しんで生きる

 

自分の意思というのはあまり役に立たないことも多いので、なんだかわからないけど調子が出ないとか、何もしたくないとかっていうのは、脳が何らかのストレスを訴えているサインかもしれません。

 

私みたいに足が動かなくなってしまうような状態になる前に、小さなサインを見逃さないことが自分を守ってあげられる方法なんじゃないかなと思います。

 

いざって時に逃げられない身体になってしまうのはとても怖いことです。

 

地震だけではなく、知らない間に自分の心や身体が何かしらで蝕まれていることがあるかもしれないという可能性を知っておく必要があるのかもしれませんね。

 

知りたくない内容ではありますが、手遅れになる前に自分の心と身体に目を向けて、何かの時のために備えておくに越したことはありません。

 

今回の地震以降、3日間くらいで歩けるようにはなったものの、疲れたりするとまた歩けなくなったりしています。

 

私は足に出ましたが、人それぞれ身体の表現は違うものです。

 

私自身、不自由を感じるようになってから、心と身体に目を向けるようになりました。

 

こうなる前に、自分に目を向ければよかったと後悔していますが、私はこの道で良かったと思っています。

 

でも、今、自分は元気だと思っている方でも、もちろんなんだか不調だなと思っている方も、早い段階で小さなサインを見逃さないでほしいなと思っています。

 

ひとりでも多く、健康な人が増えると良いな。

 

ちなみに、小さなサインがどんなところに表れているのかの一つの指標となるものが、毎年受ける健診結果だったりするのですが、一緒に働いている保健師さんのブログでいろいろ書いてくださっているので、参考までに↓

A判定でも要注意!健診結果はこれを見ないともったいない! | あなたの身体から気づきを促すウェルネスガイド✨を生業とする保健師のブログです

 

最後までお付き合いくださりありがとうございましたm(_ _)m

不登校には意味がある

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みなさんこんにちは。

 

菜花柚仁です。

 

私は最近、不登校についてよく考えています。

 

ある楽器店で講師の仕事をしていた時、生徒さんが言っていました。

 

1クラスに2〜3人不登校の人がいて学年で言うと10人以上いるみたいだと。

 

私が中学生の頃は学年で2〜3人でした。

 

私が大学生の時の教育実習先でも不登校の人数は増えているように感じましたが、そこからも年々増しているような気がします。

 

ここまで増えると、この現象に意味があるように見えます。

 

私自身は、本当に毎日中学校に行きたく無さすぎましたが、這ってでも通っていました。

 

じゃあ、不登校じゃなかったから良かったのかと言うとそうとも言い切れない気がしています。

 

心の問題は本人自身の問題だけでもなく、身体の影響や教育の影響、人間関係などで培われます。

 

もし、何かしらの課題を抱えているのだとしたら、学生時代にそれが発覚するのか、仕事を始めてから発覚するのか、はたまた何かしらの心や身体の病気として現れるかの違いだと思います。

 

私は仕事を始めてから発覚しました。

 

そうなってみて思うのですが、発覚するのが遅ければ遅いほど、回復にものすごく時間が必要になります。

 

特に大人の世界は、「本音と建前」というのが存在するので、どんどん本当の気持ちを封印して、最終的には自分がどう感じているかさえ分からなくなります。

 

気を使うことも、空気を読むことも、誰かに合わせることも、大人なら当たり前だと思って誰でもやっていることだと思いますが、それは知らない間に自分を病気へと導いている可能性があります。

 

子供たちが不登校になるのは大人になる前に、自分の本当の気持ちを見失わないようにするための試練なのではないかと思うのです。

 

気を使うことも、空気を読むことも、誰かに合わせることも、「自分」という核がしっかりあるからこそできることです。

 

自分がどう考えているのか、感じているのかが分からないと、合わせるたびに相手がどう思っているかが気になって気になって仕方がなくなります。

 

兄がテニスをやっていたのですが、「打ったら戻る、真ん中へ」と教わったと言っていました。

 

誰かに合わせたら、またすぐ自分の核に戻らないと、ボールに遊ばれることになります。

 

右に左に走り回って、次はどこにボールが飛んでくるのか分からず、ひたすらビクビク怯えて待つしかありません。

 

でも、ちゃんと真ん中に戻って来られれば、右も左も視野を広く見渡せます。

 

その真ん中が、「自分」ということになるのだと思います。

 

大人の世界に踏み込む前に、きっと彼ら彼女らは「自分」を見つけ出すことに必死なんじゃないかな。

 

私は遅ればせながらその過程を踏んで、遅れたからこそだいぶ大変な思いをしました。

 

核がないまま、鎧だけ頑丈にしてしまったので、何かの拍子に崩れ落ちてしまいました。

 

でも、作り上げた鎧を外すためには、一度壊さないといけないのかもしれません。

 

鎧が壊れて、足が動かなくなったり、外に出られなくなったりしたけど、それは「自分」という核を見つけ出すためには必要なことでした。

 

鎧の奥の奥に隠れてしまっていた私自身を、「怖がらなくていいんだよ」と呼び覚まして、大切にしようと思えるようになりました。

 

不登校の子供たちは今、とても大事な成長の真っ只中なんだろうな。

 

恐怖に負けずに、「自分」を見つけ出してほしいなと思いますね。

 

仕事を始めたからと言って、どんな大人も「自分」を見つけ出せているのかというとそうでもありません。

 

私も問題ありありでしたし。

 

特に、大人になっても「自分」を見つけ出せていない人は、攻撃されることをとにかく恐れて、どうにか先回りして気を配っていたり、逆に攻撃される前に攻撃する人もいます。

 

きっとそういう事が重なり合って、人間関係に問題が起きたりするのでしょうけど、そんな事実が少し悲しくもありますね。

 

だってもしかしたらみんな「怖い」と思っているだけかもしれないので。

 

「自分」という核を持ち、人を「信じる」ことができれば、争いとかなくなるんだろうな、とありえない理想を言ってみました。

 

そんな未来はありえないのかもしれないけど、それでも今戦っている子供たちは自分との戦いに勝利して、優しい世の中を築いていってほしいなと心から願っています。

 

最後までお付き合いくださりありがとうございました‼︎

「普通」を追い求めた時間

 

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皆さんこんにちは。

 

菜花柚仁です。

 

普通ってなんだろう?

 

過去を思い返すといつも「普通」に付き纏われていたなと思います。

 

学校には通うのが普通、宿題するのが普通、女の子はおしとやかにするのが普通、男の子は男らしくあるのが普通。

 

コミュニティの中でもそこの中での普通が存在しますよね。

 

私がいた音楽の世界は、レッスンの時は綺麗目な服装をするのが普通で、仕事上の上下関係は厳しい方でした。

 

学生時代は時代ごとの流行りなども、仲良くなるためには必要なツールですよね。

 

今で言えば鬼滅の刃ですか?

 

同じゲームをやっていれば仲良くなれるし、同じような格好が好みであれば話も合うし、好きなTVの話題でも盛りがったりしますよね。

 

私はいつも流行りにはのれなくて、ゲームもしないし漫画も読まなかったし、TVもあまり見ませんでした。

 

オシャレも興味ないし、アニメも興味ないし、どうやって仲良くなれば良いのか分からない状態でした。

 

大人になっても人と仲良くなる時に必要なことってそうそう変わらないので、気が合う人に出会うのはとても難しかったです。

 

何にせよ、人は何かしらのカテゴリーに所属しています。

 

性別のカテゴリーもあれば、趣味のカテゴリーもあります。

 

そのカテゴリーのどこにも所属できていない感覚が私にはありました。

 

ホルモンの影響かは分かりませんが、自分が女であることを受容することもできず、かと言って男だとも思えませんでした。

 

自閉スペクトラムと診断された時も、障害というカテゴリーに入ったのかというとそう思えるわけでもなく…。

 

なぜかというと、障害者雇用を受けられるわけでもなければ、自閉スペクトラムの人との共感ができるのか?というところもあります。

 

精神科のカウンセリングでも、私のことはちょっとイレギュラーな感じでした。

 

たとえ、自分が少数派だとしても、数人でもいるなら良いのではないかな?と思います。

 

障害の方々で何か分かり合えることがあるのも良いし、LGBTの方々で何か分かり合えるのも良いことですよね。

 

大多数の人に理解してもらいたいと思うのも分かりますが、誰とも交われなかった私からすると、1人でもいるなら幸せじゃないかな?って。

 

女でも男でもなく、障害でも健常でもなく、趣味もなく、自分が何なのか分からない状況で生きていくことは地獄以外の何ものでもありませんでした。

 

だから理解してほしいと思っても、何を表現したら良いのかもわかりません。

 

何を伝えたら良いのかわかりません。

 

表現したいことがあって、言いたいことがあって、揺れ動く感情があって、そんな世界に私も入りたいです。

 

どこでも良いから入りたいです。

 

そして最近ようやく、女性のカテゴリーに所属できたように感じています。

 

オシャレをすることが楽しいなと思えたり、男の人を好きになってみたいなと思ったり。

 

不思議な感覚でいっぱいです。

 

自分が女性というカテゴリーに所属できたという感覚だけで、なんだか嬉しくて、気分が上がります。

 

未だに何が普通なのかなんて分かりませんが、自分に満足しています。

 

言葉にできないのですが、自分が何者なのかがなんとなく感じられて、安心感が生まれました。

 

本当はもっとたくさんの人と仲良くなってみたいなと思ったりもしますが、少数派の中でも少数派な私はきっと難しいだろうなと思っています。

 

それでも数人は、この普通からかけ離れている私でも良いと、趣味が合わなくたってどこにも所属できていなくたって良いと、言ってくれる仲間ができました。

 

本当にありがたいことです。

 

私はその人たちのおかげで、このままの私でいて良いのかと、自分を許してあげることができました。

 

だから人って結局、1人では生きていけないんだなって。

 

今、たとえ理解されなくても、私はたくさんの人と関わりたいなと思えるようになってきています。

 

カウンセリングで言われたのですが、安心できる場所や人がいるから冒険しようと思えるんだ、と。

 

だから私が外に飛び出そうと思えるのも、普通じゃなくても良いと思えるのも、その人たちのおかげだし、だれでもそういう場所や人は必要なんだなと、カウンセリングの時に思いました。

 

あんなに普通になりたかった私ですが、勿体ないのでこのままでいようと思います。

 

こんな取り留めもない話を最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

それではまたm(_ _)m

おしゃれしたくなる周期

 

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皆さんこんにちは。

 

菜花柚仁です。

 

ブログの投稿自体はしていませんでしたが、実は今年に入ってから書きたいことが溢れてくるので下書き保存には溜まっていてどれから投稿すれば良いのか迷っています。

 

さて、今日のお話はおしゃれについてです。

 

少し前のインスタのストーリーで

「ミントグリーンのパーカー買ったから、何色の靴が良いかな?」

という内容のことを投稿しました。

 

メッセージくれた方もいらっしゃったので、ものすごく嬉しかったです。

 

ありがとうございます😊

 

そこからですが、急にオシャレスイッチが入ってしまい、別に爆買いしたとかじゃなく、うちにある洋服で着回しを楽しんだり、化粧とかアクセサリーとか考えたり、楽しくなってきました。

 

音大生だった頃はちょっと変わった格好をしていました。

 

深緑一色のジャケットに、黄色いタイツ合わせてみたり、夏はタンクトップにおもいっきり高いピンヒール履いたり。

 

思い出して考えてみたけどヤバいな、私。

 

あの頃はオシャレというより

「私に近づくな!」

っていう気持ちの表れだったように思いますね。

 

いつも高いピンヒールで背を高く見せて、きつめの濃いメイクで威嚇してるみたいな。

 

幸い、音大って変わった格好の人が結構いるので、私なんかは全然目立っていませんでした。

 

1番びっくりした格好の人は、真っ赤な着物風ミニスカを肩をはだけさせて、真っ赤な口紅してた人ですね。

 

文化祭か何かの時みたいな格好を普段着で着てるのが驚きでした。

 

私もまだまだだなって。

 

のだめカンタービレで出てくるすごく個性的な人たちは嘘でもなければ、大袈裟に表現されているわけでもありません。

 

逆にちょっと薄めになっているかも。

 

本物は強烈です。

 

廊下で突然歌い出せば、知らない人がハモってくれたり楽器で伴奏入れてくれたりします。

 

中庭では即興の桃太郎劇が始まり、桃太郎と鬼が実は生き別れの親子だったいう流れになっていました。

 

話が逸れてしまいました。

 

戻しますね。

 

そうそう!オシャレの話をしたかったんです。

 

今の私は近寄って欲しくないからとか威嚇の意味でのオシャレではなく、ただ単純にオシャレを楽しめていると思います。

 

私はよくブログにホルモンの話を書いたりしますが、まさに女性ホルモンのおかげですよね。

 

もともとはまったくオシャレに興味がなかったんです。

 

大学の時のもオシャレというより、違う人間になるための仮装、の方がしっくりきます。

 

モチベーションがちょっと違う方向性なので、飽きるとスッピンにモノクロのくたびれた感じの格好で学校に通ってたりもしました。

 

落差がひどいですね(笑)

 

でも、綺麗になりたいとかオシャレ自体を楽しみたいという気持ちは、自分が女性であることを受容できていないとできないことです。

 

最近はLGBT🏳️‍🌈という言葉も出てきていますが、性の多様性が言われ始めていますね。

 

私から見ると、見た目がどっちであろうと

自分の心は女性なんだ!とか

自分の心は男性なんだ!とか

好きな人は女性だ!とか

好きな人は男性だ!とか

分かっているだけですごいなと思いますね。

 

私の場合、そのスタート地点にも立ててないような感じです。

 

女性ホルモンが少ないからすね毛も男性並に生えてくるし、顎髭も生えてくるし、自分が女性なのか男性なのか感じる余裕もありません。

 

ですが今はちゃんと

「あ〜。私は女性なんだ。」

と思えています。

 

ようやくスタート地点に立てたような気がしています。

 

自分は男なのか、女なのか、何が好きなのか、嫌いなのか、たったこれだけのことだと、当たり前のことだと思っている方が大半だと思いますが、そんなことはありません。

 

それだけで幸せなことです。

 

私は今「女性だと感じられている」これだけで幸せだと思えています。

 

いらない報告かもしれませんが、5年くらい身体と心を整えてきて最近、ホルモンも安定したからか、濃い毛だったのが薄くなりました!

 

脱毛行っても頑固だった毛が、ホルモン整えただけでびっくりです!

 

とても嬉しいです!

 

これからもっと女性を楽しみたいと思っています。

 

最近の私のブームはすっぴん風メイクにカジュアルとキレイ目な格好を混ぜた感じにするのが好きです。

 

何を幸せと感じるかは人それぞれですが、自分にとっては当たり前でも、誰かにとったら素敵なことかもしれないことってたくさんあります。

 

だから、どんなことも大切にしていきたいと思いますね。

 

最後までお付き合いくださり、ありがとうございましたm(_ _)m

 

ちなみにミントグリーンのパーカーに合わせて買った靴はこちら↓

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とってもお気に入りです❤︎