菜花柚仁「自閉スペクトラム」を楽しんで生きる

仕事をしながら心理学科に通っています。 特に子供の心理や発達について研究をしています。 私自身が自閉スペクトラムと診断されていることもあって、そんな一人一人の特徴や能力を生かした過ごし方を発信していけたらと思っています。

いつか笑い話になるもんだ

 

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皆さんこんにちは。

 

菜花柚仁です。

 

ふと思い出したことがあるので書いてみようかなと思います。

 

ある人に言われました。

 

「あなたの自閉スペクトラムエピソードをみんなが笑って聞いているこの環境、なんだかすごいね。」

 

そういえばそうだなと思いました。

 

なんの気なく「いついつこんなことがあってー」という感じの世間話雰囲気に話していたので、言われてから気がつきました。

 

世の中ではこの話を笑って聞いてくてるのは当たり前じゃないのか。

 

私の中では、この話は当たり前の話で、皆さんと同じようにただの話題の一つとしか考えていません。

 

そういえば私は自閉スペクトラムと診断される前から、障害のある子供たちや大人の人に対して、何かの印象を持ったことがありませんでした。

 

もともと中学生の頃から施設のボランティアをしていたので、そのおかげかと前まで思っていましたが、診断されて「だからか。」と思いました。

 

なんであの子たちは急に騒ぐのか、言葉を喋れないから何を考えているかわからない、私たちとは違うんだ、と思っている人が多いなか、私はなんとなくわかるけどなぁと思っていたので、それがなぜかがわかって、良かったなと思っています。

 

私自身、こんなことがありました。

 

夕方くらいからお風呂に入ろうとした時、そろそろ日も落ちるし、洗面所もお風呂場も全部電気をつけて入りました。

 

まだ明るい時間ではあったので、電気の意味はありませんでしたが、暗くなるかもしれないので、電気をつけていたところ、仕事から帰ってきた父親に洗面所の電気を消されました。

 

パニックです。

 

せっかくお風呂に入ったのに汗びっしょりだし、泣きすぎて疲れるしで散々でした笑

 

パニックになる私に父はオロオロして「ごめん🙇つい癖で消しちゃっただけだから!💦」と言いました。

 

私としては理由なんてどうでも良くて、電気をつけて入ったから電気はついてないとおかしい!って気持ちなんですが、あまり共感されないのかな?笑

 

父は説明してもあまり良くわかってなかったみたいですが、この出来事から少し経ったある日、母がいい感じの例えをしてくれました。

 

例えば建物の中に目隠しで連れてこられて、今は夜で、あなたは外にいますと言われたとします。

 

建物の窓は全部遮光カーテンが施されていて真っ暗闇です。

 

そして突然カーテンを開けられて急に明るくなります。

 

今は夜で外にいると思っていたのに、急に昼間になって建物の中にいるとなったら、情報処理に結構時間かかりませんか?

 

そんな感じです。

 

伝わってくれたら嬉しいな。

 

多分皆さんはこんな出来事が起きても、ちょっとしたら状況の把握ができると思いますが、私は結構時間かかるしびっくりするんですよね。

 

なんの天変地異だ⁈って。

 

たかが洗面所の電気消されたくらいで何が天変地異だよ笑、と後々思ったので、もちろんそれをネタにいろんな人に話しました。

 

笑って聞いてくれるんですよね〜。

 

愛想笑いじゃないことはちゃんとわかります。

 

笑ってくれるからじゃあこれもあれもと調子に乗っていろいろ話してしまうのですが、楽しいからしょうがない。

 

幸せなことにそんな環境にいるので、ふと忘れがちですが、施設にボランティアに行っていた時は一般的な考え方を目の当たりにしていました。

 

結局、そこで働いている人たちも、子供たちの言動に驚いているんですよね。

 

みんなと同じ行動ができず駄々をこねる子供に、教育だと思って注意しているのを見ていると、そういうことじゃないんだけどなぁとか、子供たちと同じ気持ちになることがありました。

 

もしかしたらその子は今まで何かをしていてそれを終わらせないと動きません、と決めただけかもしれないし、行く場所が何かの理由があってどうしても無理なのかもしれないし、その子なりの原因があるのに😭と思うことがたくさんありました。

 

もしみんなと同じ行動を取ってもらいたかったら、その子が何か新しい行動を始める前にあの時計の針があそこにいったらみんなとお出かけするから準備して待っててねと言っておくとか、どこどこに行くけど大丈夫?もし嫌だったら何が嫌か教えて?とかやりようはいくらでもあるのに…

 

その一言があるのとないのとで、心の準備というものができるんです!と切に言いたい。

 

私はたまたま言葉もわかるし人の表情も読めるので、あの子たちの代わりに何か伝えられることができるといいなと思いつつ、このブログをやってたりします。

 

このことがあまり理解されないことなのは重々承知ですが、少なくとも私の周りには笑って聞いてくれる人がいます。

 

健常も障害も垣根がなく、そんなカテゴリー忘れてしまうくらい楽しい環境です。

 

まだまだ理解されるには時間がかかるかもしれませんが、私はあまり理解してほしい!と強く思ってはいません。

 

人はそれぞれの育ってきた環境で価値観や考え方ができるものなので、理解できないことを無理くり理解してもらおうとするということは、その人の生きてきた過程を否定しているようなものだなと思うからです。

 

何かの偏見で心ない言葉を言われても、その言葉を言ったその人は今までの環境がその人を作り上げただけ、と思っています。

 

もし、ご縁があるならいつか笑って聞いてくれるだろう程度に、ゆるく生きていくことの方が人生楽しめるかなって。